天人相関説
自然と人間は表裏一体の関係なのかー。科学的に立証が困難である「人間と自然の相関関係」。この難題に一石を投じたのが中国の儒教から源流を発する「天人相関説(てんじんそうかんせつ)」です。
天変地異という言葉はよく聞きますよね。人間のなした行いが仇となり、「天変地異」を引き起こしている、という陰謀論まで囁かれたことがありました。
あらゆる事象が人間の行動と結びついており、その人間の行いによって、事象が吉祥に出るか凶変に出るかの分かれ目となっていたのです。
まあ、もちろんこれは科学的に立証が困難である摂理のため、現在でもその考え方には疑問符が付いています。
例えば、ある国を治める君主がいたとして、その君主が善政を敷き、民を幸せにさせた場合は、天変を司る神様が祥瑞(しょうずい)を下して嘉賞し、逆に悪性を敷いて民を不幸に陥らせた場合には、天の神様が災異(さいい)を引き起こして、その君主を譴責(けんせき)する。
これは中国史における考え方の1つですが、天変地異がもたらす被害は甚大であり、古代では人間とあらゆる事象とが密接に結びついていることを教義として捉え、国を治める君主も、その礼節をわきまえるようになっていきました。
ちなみに君主があまりに横暴を働き、君主としての徳を失っていた場合、身分なき農民や士官が自ら蜂起してクーデターを起こし君主を失脚させることもありました。これは中国の王朝における革命的なクーデターの1つであり、「易姓革命(えきせいかくめい)」とも呼ばれました。
君主であろうと天子であろうと、人間としての徳を失った者にはしかるべき罰を与えるべきだ、という考え方が根付いていたんですね。いかなる理由があろうが君主に逆らうことは決して許されない世界において、この中国の易姓革命は非常に珍しいケースとも言えます。
天が自ら裁きを与えることもあれば、農民や市民が一丸となり君主を失脚させるクーデターも起こりうる。君主という肩書きも、農民や市民への信頼を伴っていなければただの「無用の長物」になりかねないものだったのですね。
ちなみに天変地異、いわゆる「災異」がもたらす害意な自然現象とは、洪水や干魃、地震、火山の噴火などを指していました。その時、治水事業や土地開発などの技術がまだ発展しておらず、これらの自然現象は国の存続を脅かしかねない存在だったのです。
だからこそ天を敬い、君主たる者、いかなる時も「徳」を忘れるなかれ、だったのかもしれませんね。その教えに倣って生まれたのが「天人相関説」だったのではないでしょうか。